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NEWS一覧2017年7月20日7月はマンデラ・マンス(Mandela Month) トコジレ・カーサ観光大臣が紹介する「マンデラの足跡を巡る旅」

7月はマンデラ・マンス(Mandela Month) トコジレ・カーサ観光大臣が紹介する「マンデラの足跡を巡る旅」

ネルソン・マンデラ南アフリカには、全世界にとって大切なストーリーを伝え続ける特別な場所が点在しています。私と一緒に、これらの場所を訪ねる旅に出かけましょう。

去る7月18日のマンデラ・デーに際して、南アフリカ初の民主的選挙によって誕生した大統領にまつわる観光スポットへ足を運んだ多くの外国人観光客や南アフリカ人の中には、これからお話しする「マンデラの足跡を巡る旅」の一部をすでに体験された方もいらっしゃるかと思います。毎年7月のマンデラ・マンス(Mandela Month)に、より多くの人々にこれらの場所を訪れていただけることを願っています。

今すぐ旅に出かけることのできない方々もいらっしゃると思われますが、これからご案内する「マンデラの足跡を巡る旅」ではまず、東ケープ州のクヌ周辺に広がる丘陵地帯へと足を伸ばしてみましょう。緩やかに連なる丘には農家が散在し、ところどころで集落が形成されています。こういった小さな村へは、未舗装で埃だらけのデコボコ道でしかたどり着くことができません。

辺りの風景に目をやると牛があちらこちらに見えるはずです。およそ100年前、若かりし頃のホリシャシャ・マンデラは、ここで一日中草を食んでいる牛の世話をしていました。そしてこの地域の小さな学校に勤めていた教師が、少年に「ネルソン」という名を授けたのです。当時、この少年が人類の調和を提唱する世界的シンボルになるとは思いもよらなかったに違いありません。

こういった場所は、単に絵になる伝統様式の住居が散在する丘ではなく、私たちが積み重ねてきた歴史や伝統を今に物語る遺産にほかなりません。ネルソン・マンデラのようなリーダー達の思想や価値観が反映されていると同時に、南アフリカの民による集合意識を伝えているのです。

このような片田舎にある多くのコミュニティでは、民家やロッジに滞在しながら地元住民との触れ合いを体験することができます。そして伝統に根付いた価値観や習慣と現代の生活がいかに融合しているかを目の当たりにすることができます。それは苦難の歴史を乗り越えた南アフリカの人々による経済改革、そして観光を通じて、迫害された地域社会の活性化を実現した証でもあります。

分断された国をひとつにまとめあげ、世界で最も尊敬される政治家として、祖国の発展に尽力したマンデラ元大統領にとってクヌは非常に大切な場所で、引退後の安堵の地としてこの場所を選んだのです。

クヌには再び戻ってくることにして、ここで静かな田舎町をいったん離れ、次の目的地へとご案内します。

北へ進んでハウテン州ヨハネスブルグのソウェトへと向かいましょう。ネルソン・マンデラはアパルトヘイト時代の黒人居住区でよく見られた小さな赤レンガ造りの住居を、ソウェトのフィラカジストリートに構えていました。そして同じ通りの少し離れた場所にはデズモンド・ツツが住んでいました。教会に通う仲間や僚友たちとともに、ツツとマンデラは狭い箱の中へ追いやり人々を抑圧した政策の撤廃に向けた長い闘争を先導しました。

そして今日、ソウェト地区は観光バスで訪れる旅行者に対して営業する数多くのレストランや露天商などで賑わいを見せています。フィラカジストリートは、2人ものノーベル平和賞受賞者を輩出した世界で唯一の通りとしても知られています。訪問者のほとんどは外国からの観光客ですが、南アフリカ国内向けに展開しているキャンペーンやプロモーションが功を奏し、国内各地からの南アフリカ人旅行者も増え続けています。

フィラカジストリートを訪れる観光客の増加は、ソウェト地区の経済に明るい未来をもたらしています。過去の社会紛争の積み重ねは、様々な経済的側面に影響を与えており、ソウェトでは雇用機会の創出、中小零細企業および起業家の育成に向けた取り組みが展開されています。ツアーガイド、輸送業者、土産店らは観光によってもたらされる利益を享受しています。

ネルソン・マンデラが暮らしていたフィラカジストリートの家屋とその周辺の開発は、文化遺産の有効活用を通じて地域社会へ着実に利益をもたらす観光の潜在力を裏付ける格好となっています。

では、そろそろヨハネスブルグを後にして、次にクワズールー・ナタール州にあるホーウィックという静かな街へと向かいます。この辺りを通る曲がりくねった道路脇で、マンデラは武装警察に身柄を拘束されました。その後、反逆罪の裁判を経て、ロベン島での投獄生活を過ごし、釈放後に南アフリカに歴史的な変革をもたらしました。

こうして、運転手の制服に身を包んだ車を走らせていた男性を警官が呼び止めたその時、南アフリカの歴史は決定的な瞬間を迎えたのです。

マンデラが身柄を拘束されたキャプチャー・サイトと呼ばれる場所には、南アフリカの歴史に劇的な変化をもたらす重大な出来事が起きた地点であることを象徴する彫刻が設けられています。周辺の観光経済はフィラカジストリートのように栄えてはいませんが、観光客にとっては必見の場所となっています。

キャプチャー・サイトに身を置くと、何ら変哲のない道路沿いで発生した重大な出来事の意義を体でひしひしと感じるに違いありません。

ここからは、ネルソン・マンデラが20年以上の歳月を過ごしたロベン島の独房へと向かいます。ロベン島の小さな港へはケープタウンからのフェリーを利用します。刑務所のツアーでは投獄された人々が強いられた苦難の数々が伝わってきます。

マンデラが投獄されていた独房に足を踏み入れると、人生観が変わってしまうほどの体験であることが感じられます。こんな残酷な場所に閉じ込められていた人が、いかにして捕獲者に対してまでも人間性を失わずに接することができたのかと考えさせられます。

ここでの体験は私たち全員に自分自身を見つめ直し、他人への思いやりの念について問いかける機会を与えてくれます。そして私たち一人ひとりの胸に生きるマンデラの存在に気付かされ、彼が信じた価値観をあらゆる手段を講じて継承していかねばならないと痛切させられるに違いありません。

さて、最終目的地へと向かう前にもう一度、ネルソン・マンデラの足跡を辿って、ロベン島からの投獄者が大統領へとのぼりつめた場所でもあるプレトリアのユニオン・ビルディングスを訪ねてみましょう。

ビル正面の芝庭では、両手を広げて微笑みをたたえながら人々を暖かく見守るネルソン・マンデラの彫像が目に入ってきます。この彫像はひとりの人間、政治家、民主国家の父として成し遂げたマンデラの偉業を讃えるに相応しく、堂々とそびえ立つ姿を見せてくれます。

さあ、いよいよ次は旅の最終目的地。ネルソン・マンデラが最後に安堵の地として選んだ場所、そして由緒あるマンデラ家の墓が建てられているクヌへと戻りましょう。マンデラの家族と僚友たちは、少年時代を支えたクヌの大地へマンデラの亡骸を帰すためここに集まりました。アフリカが生んだ偉大な人物はこの世を去ってしまいましたが、南アフリカは歩み続けていかねばなりません。

ここでストーリーが終わるわけではありません。ネルソン・マンデラは、南アフリカに自由と民主主義をもたらした政治的遺産、そして類い稀な人生の足跡が刻まれた多くの場所を通して、私たちを永遠に見守り続けています。クヌをスタートし、フィラカジストリート、ホーウィック、ロベン島、プレトリアを経て、再びクヌへと巡る道のりは、南アフリカの歴史と遺産を思い起こさせてくれる旅と言えます。

マンデラ・マンス(Mandela Month)に、そしてその後も、私はより多くの南アフリカ人がこの素晴らしい「マンデラの足跡を巡る旅」を体験する機会が得られることを願っています。そして経済的余裕のない若者をはじめとした人々が旅行に出かけられるよう、南アフリカの企業や慈善団体、その他の組織が力を合わせて取り組んでくれることを切に願っています。

この旅を体験した人は、訪問した場所が私たち南アフリカ人、そして世界中の人々にとって何を意味するのかを再認識したうえで、家路に就くことでしょう。

ネルソン・マンデラの足跡を巡る旅の体験は、彼が唱えた価値観と原理に対する理解を深め、私たち一人ひとりをより思いやりのある人間へと導くことで、より良い世界を実現する原動力をもたらします。

人が改心し、自分自身と互いに対する理解を深め、観光がめざす最終目的が達成された時、私たちの旅は終点に到着します。

南アフリカ共和国 観光大臣
トコジレ・カーサ

本件に関する問い合わせは:
『南アフリカ観光局』広報 株式会社ホワイトナイト
担当:樫村陽子(kashimura@whiteknight-jp.com)
淺川正江 (m.asakawa@whiteknight-jp.com)
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