Spot 南アフリカ観光スポット

Spot 南アフリカ観光スポット

南アフリカの父、マディバに敬意を表して

2013年12月5日、南アフリカの偉大な人道活動家ネルソン・マンデラがヨハネスブルグのハウトンにある自宅で家族に見守られながら95年の生涯を閉じました。

国民から親しみを込めて「マディバ」と呼ばれていたネルソン・ホリシャシャ・マンデラは1918年7月18日、東ケープ州のムベゾという農村に生まれました。後に熱心な反アパルトヘイト活動家となった彼は、自由のための不断の闘争と人種間の融和を実現するために人生の大半を費やすことになります。

25歳当時、反アパルトヘイトの中核組織だったアフリカ民族会議(ANC)に参加し、ANC青年同盟の創設に参画。1952年には同志の活動家オリバー・タンボとともに、南アフリカで初となる黒人による法律事務所を設立しました。

1960年にANCが非合法化されたことを受けて、マンデラは1962年に逮捕され懲役5年の判決を申し渡されます。さらに2年後の1964年には国家反逆罪で終身刑の宣告を受け、以後27年間にもおよぶ獄中生活を強いられ、うち18年間はケープタウン沖合に浮かぶロベン島刑務所に収監されました。このロベン島、今ではユネスコの世界遺産として南アフリカ有数の観光地となっています。

1980年代に入り反アパルトヘイト運動が激化した南アフリカは国際社会から孤立していきます。そんな中、1989年に南アフリカ大統領に就任したデクラークがアパルトヘイト撤廃を決断。収監中も意志を貫き通したマンデラは1990年2月11日に釈放され、翌年にはアパルトヘイト政策が撤廃されます。1994年には全人種が参加した南アフリカ初の民主的選挙がおこなわれ、ネルソン・マンデラは南アフリカ初の黒人大統領に就任。1994年から1999年の1期5年間の大統領職を務めあげ、分断された南アフリカにおける和解と融和の信条は世界中にで知れ渡ることとなりました。

またマンデラは1993年、アパルトヘイト撤廃に尽力した功績により、デクラークと2人揃ってノーベル平和賞を受賞。生前に「子供をいかに育てるか、ということほど社会にとって重要な課題はない」と語ったマンデラは、子供たちへの無限の愛を示すとともに、アフリカに暮らす子供たちの生活向上を支援するネルソン・マンデラ児童基金を創設しました。

不屈の精神と融和を信条とする姿勢、そして謙虚さと思いやりを併せ持ったマンデラは現在も世界各国で称賛され尊敬を集め続けています。

新生・南アフリカの父として、時にいたずらっ子のような笑顔を見せる大統領として、熱烈なスポーツファンとして、南アフリカ国民が大好きだったおじいちゃんとして親しまれたマンデラは、他界してからも多くの敬愛を集めています。誰に対しても平等に接する寛容な人柄は、これからも決して忘れられることはありません。

マンデラが遺してくれた偉大なる勇気とインスピレーションは、南アフリカと世界の人々の心に宿り続けることに疑いの余地はありません。

null

★ご存知ですか?

マンデラは1989年の獄中で過ごした最終月に南アフリカ大学より法学士号を取得しました。